2.存在しているということ―非存在的存在

非存在的存在は存在―非存在の例外である。地球上のいわゆる生物とされているものがこれに該当するだろう。人間は非存在的存在の中でもさらに特殊である。人間については次章で詳しく考察する。

【非存在的存在の仕組み】
ある非存在aはxを感じ、非存在aから非存在bへと変化する。非存在aと〔xを感じた非存在a〕(=非存在b)は、つながりはあれど、別の存在である。
しかし、ここで、なんらかの働きによって、非存在aと〔xを感じた非存在a〕=非存在bの間につながりが見出され、非存在bを非存在aの別物ではなく、非存在aが変化したもの〔非存在a’〕と捉えるようになる。つながりを見出したもの、非存在aと非存在bを同一存在として捉えたものについてはのちに述べる。
つまり、常に変化しており、同じものとして存在し続けることはないはずの非存在が、その変化の中に(変化前と変化後のそれぞれの存在の間に)つながりを見出されることで、同一のものとして存在し続ける非存在が非存在的存在である。

存在する構造
ω

a _⤴ α ➡b = a'

存在する 数式
a → a+ω×α= a+x ⇒ b = a’(→ a’+ω×α’=a’+x⇒c=a’’ …)

非存在であるというのは、ある非存在の変化前(xを受ける前)と変化後(xを受けた後)は、別存在で、ぶつ切りの存在である。非存在的存在であるというのは、ある非存在の変化前(xを受ける前)と変化後(xを受けた後)の間につながりを見出し、同一存在であるということである。Xによる変化は存在そのものの変化ではなく、ある同一の存在に起きた変化となる。変化が起きても、その存在であり続ける。

非存在的存在は、根本的には非存在と同じ、xによって常に変化する存在である。しかし、非存在的存在は、存在そのもののが変化しても、その変化の中につながりを見出し続ける。ゆえに、変化をしても常に同一の存在として存在し続ける。つまり、非存在と非存在的存在の違いは、連続する非存在の間につながりを見出す働きがないか、あるかである。

そして、このつながりを見出す働きによって、自ができる。つながりを見出すことによって、同一存在であり続けるということは、自があるということ、その非存在的存在が自を持っているということである。
(註)自を持ったのが先か、つながりを見出す働きを持ったのが先か。自があることで、捉えるができる。つながりは見出されるが、そのつながりによって、連続する非存在を同一の存在として捉えるのは、能動的な動きのイメージ。

ともかくこの働きが搭載されて、自を持った非存在が非存在的存在。元々、違う非存在だったものが、変化して非存在的存在に。それぞれ固有の自を持つ。

非存在的存在を考える上で重要なのは、連続する非存在の間につながりを見出す働きについてである。この働きこそが、非存在的存在を、非存在ではなく非存在的存在として存在させる。

では、この働きについていくつか考察していく。
まず初めに、この働きの仕組みについて。どうやってつながりが見出されるのか。その非存在的存在となる非存在自身が、つながりを見出しているのか、神のような非存在的存在の外側にいる存在によって、つながりが見出されているのか?これに関しても、わかるわけはないが、だが、存在の領域というのは、試客、内外の区別がない世界であるはずである。ゆえにどちらでもあり、どちらでもないが最も正しい答えに近いと考える。しかし、人間にとっては、どちらかを設定した方が思考を進めやすいのは確かである。

つぎに「なぜこのような働きが生まれたのか」について。
これはつまり、「なぜ非存在的存在になる非存在とならない非存在があるのか」「非存在的存在になる非存在は、そうならない非存在と元々何か違いがあったのか」ということでもある。
現状の考察はこうである。非存在のままであるものと非存在的存在になるものの間に、もともと違いがあったのかどうかはわからない。が、非存在的存在となるものも、根本的には非存在なのであり、全ての非存在には非存在的存在となる可能性があると考える。つまり、すべての非存在はまだ非存在的存在になっていないだけであり、すべての非存在的存在はいつでも非存在に戻りうるのである。

つまり、非存在的存在は、存在しているのか、存在していないのかよくわからない存在である。危うい存在といえる。