4.人間—非存在的存在の意識化

非存在的存在aは、現象・事象ωを感覚αを持って対処した=xを感じ、a’となった。このとき、自我を持つ人間であれば、aからa’へ変化した自分をなんとなく感じるだけではなく、意識の上で確かに知ることを望む。それは、自分という存在を意識的に存在させることである。そのため、人間は、準意識で確かに感じた変化を解釈(δ)し、意識できるもの(A)として新たに創り出す。精神的な自己創造。変化の大きさや事象ωの種類によって変わる。

アイデンティティを作るということである。元来持つオリジナリティと自己認識であるアイデンティティが近いほど、自分という存在を楽しめる。

準意識界 a’ ↰
意識界    δ→ A

a’×δ=A  
・a’はa+xのため、その存在がもともと持つオリジナリティをそのまま持つ
・Aは解釈行為δによって、意識化されたa’。解釈されているため、オリジナリティをそのまま持つわけではない。

〔解釈行為δについて〕
意識でとらえきれない存在の変化a’を意識化する行為。知覚と解釈の二つの段階的な働きを持つ。
a’は当然オリジナルの中身を持つものであるため、意識でa’をはっきりとは捉えられなくても、a’に対する解釈の方向性はわかるはず。解釈行為δでは、a’の自然な方向性に従い(心の声のようなもの)、a’とAのズレを小さくすることが重要。だが、解釈にもオリジナリティが反映されるため、δの自由さも大切に。a’とAのズレは、無意識界の実際と意識界のフィクションの乖離であり、a’の方向性を無視し、あまりにズレが広がれば、自己疎外感が起こる。*自己疎外感とは、自信・自己肯定感・自己受容感の低下である。
*一方で、無意識が意識に一方的に影響しているわけではなく、意識も無意識に影響するため…

(Ⅰ)知覚*
第一にa’の存在を捉える。よくわからないまま、aの変化、xとa’の存在を感じる。無意識界の感情xを感じきる。a’に対する解釈の方向性を捉える。a’のあるがままの姿を知ることで、Ⅱでの解釈がうまくいき、a’とAのズレを小さくすることができる。一番重要な部分であり、この段階なしにⅡ解釈がうまくいくことはあまりない。

・言い換えれば自己対話の一つであるといえる。もっとも、*個性が表れる部分である。
xは感じたことであり、経験の元。a’はxを感じ変化した自分であるため、a’を知覚するとは、自分の感情を感じきるということである。
aやa’、xは論理が通用しない、無意識の領域にあるものである。(根本的な部分は無意識の領域、人間は理解できず意識できない領域にあるものである。)つまり、aやa’、xはナンセンス・意味不明・言葉にできないものである。それらは、すべて自分であるといえるのにも関わらず、よくわからない“もや”なのである。そのため、当然、他者と共有することはできないものであり、完全に個的なものである。

a’やx自体は常に新しいものであるため、知覚するには時間がかかるものである。この段階を時間をかけて行うことで、a’の解釈への方向性を見定めることができ、自然な解釈が可能になる。わからないものを分からないまま持ち続けることが大切である。“もや”にすぐ形を与えようとしない。わからないことに耐えられず「答」を焦り、この段階を雑に済ましてしまうと、無意識の実情a’と意識の解釈Aのズレが大きくなり、自分を見失う。無視されようが、無意識の領域のことをなかったことにできるわけではなく、そのズレはもやとして意識に訴えかけ続ける。

過去の経験や既存の知識や論理による決めつけで、純個的で常に新鮮なxやa’を無視するのは自己との関係において非常に危険である。無視を続けるほど、乖離は大きくなり、乖離に気づくことが今の意識上でもつ自己認識を否定し、自分の存在を否定することになるため、修正が難しくなる。自分と向き合うのが、本音を知るのが怖いという状態である。

この知覚をしっかり行うためには、時間的余裕ないしは心的余裕と未知への耐性が必要である。基本的には、現代社会で一般的とされている「大人」になるほど難しいと考えられる。この知覚を行うために、有効な行為がいくつかある。
・瞑想 直接的な知覚
・藝術鑑賞:絵画、音楽、物語 自分の非論理的な無意識の内面に触れるきっかけになる
・創作行為 自分の内面に触れ、それを現実化することで、Ⅱ解釈行為によい影響をもたらす
・運動 体を動かすことで、思考が緩やかに精神に余白を与え、無意識の入るスキマを与える
・意味のないことをする

論理的思考や理性の働きをあまり介入させないようにすること。意味や言葉に気を付ける。言葉は、人々が共有しているものであるため、そこには他者の価値観や前提が含まれているため、言葉で“もや”をとらえようとすると、個的で新鮮な部分を切り捨てることになる可能性がある。詩などの自由なことばやオリジナリティのある言葉は良いが、強固で不自由な論理的なことばは危険である。

このa’は意味や価値の領域にないものである。a’知覚は、論理的思考に侵された現代人には、意味が分からず、目に見える価値がないからやらないと切り捨てられがちである。この行為をしっかり行うには、1.2章で述べた存在の仕組み、ないしは自分は唯一無二の存在であり、共有不可能なナンセンスな部分を持った人間であるということを理解し受け入れていることが重要である。論理的に説明できなくても、他者に理解されなくてもよい部分を持つことである。

(Ⅱ)解釈
Ⅰでとらえたa’を解釈する。*過去と比較し、つながりを見出す。二つの方法がある。
仮説立てである。意識できる自己を作るということであり、精神的な自己創造段階である。a’が過去になり、本当に理解できたときに、経験となる。過去とのつながりがはっきりとする。
①直観
論理的ではないが、感覚的につながりを見出す。a’とAのずれをもっとも小さく抑えうる。だいだいは直観で作られている可能性が高い?

②理性/物語化/自己論理
論理的につながりを見出す。経験と結び付けて、意味付けをする。他者と共有できうる。言葉と相性が良い。強固な意味を与える。行動を促しやすい。完全に個的な存在aやa’、x同士の間にもつながりを見出す。過去の経験知の蓄積から論理や法則を創り出し、その創造物をより強固にすること、つまりより大きな共通性や普遍性を求める。また、「共通認識」という概念を創造し、個的な存在の集団に全体的な一貫性を見出そうとする。非存在的存在の人間の意識的に生きるフィールドである「世界」を創り出した。
理性の性質は回帰と創造の二つに分けられる。

(1)回帰的理性 
  理性の創造物である、既存の法則や理論、捉え方を利用し、a’を過去とつなげる。理性の創造物つまり過去に縛られる理性。他者と共有できる解釈、つまり普遍性を求める。
「回帰的理性」(2024)
回帰的理性は、Ⅰのa‘の知覚をおろそかにし、a’の持つ方向性を無視することになる可能性が高い。
また、オリジナリティを否定することになる可能性がある。

(2)創造的理性 
 法則性を自分でみつけることで、a‘と過去をつなげる。自分の頭で考えるということ。また、理論的仮説を立てること。オリジナリティを否定せず、個別性を保ったまま、物事の間につながりを見出す論理の力を使うため、創造的であり、自由な想像力が必要となる。
「創造的理性」(2023)
解釈は、漠然とした感覚感情を自分の過去と結び付け、経験にしていくことであり、経験になるのは変化が起きてから、時間がたった後。変化の大きさや事象ωの種類によってかかる時間などは変わる。自分に意識的につながりを見出し、自己認識を形作っていく。
解釈の段階でもやはり仮説を立てることにすぎない。余白を残しておくことが重要である。正解はない、常に自由。

答えを急がず、自分の外に正解を探すのではなく、どこかから正解を持ってくるのではなく、時間をかけて自分の感情に対して、自分の答えを作っていく。自分を見失わず、個性を育てていく。自分の人生を、自分を創造していくということである。

(未完)