TSUMURA SAKURAKO
ナンセンスの神にょほほのお使い
お茶の水女子大学在学中。
2023年 創作活動開始
2024年 サイト開設
CONTACT
Mail:contact*nyohoho.com (*→@)
活動目標
この活動が目指していることをご紹介!
よくわからないけど
なんかおもしろい
創作とアートをすべての人に!
個性の受容と育成
遊び場のような社会空間
1.よくわからないけどなんかおもしろい
いまの社会では、意味のないものや不合理なもの、即時的に理解できないものはほとんど排斥されている。社会全体的に、そしてそこに生きる人々に未知への耐性がどんどんなくなってきているように感じる。しかし、未来とは、新しさとは、わからないものの中にあるのではないだろうか。未知を排除した先に待っているのは恐ろしいほどの閉塞と退屈だとわたしは思う。
また単純に、わかることしか存在しない社会をわたしはおもしろいとは思えない。むしろ、窮屈で息苦しく思う。だって、わたしはわたしのことすらよくわからないのだから。わたしは、せめても自分の作品を世に出すことで、この世に未知を、おもしろさを存在させたい。
2.創作とアートをすべての人に!
現在、アートは相変わらず特権的なものである。専門性が高く、余裕のある人たちのための教養でしかない。交換価値を基礎とする資本主義経済下では、アートは特権と結びつかねば、その存在が危ぶまれる。しかしそれによってまた、アートの門戸は狭まり、その立場は社会的に危うくなっていくのだ。
本来、アートとは、創作とはすべての人に可能なものである。アートは純粋に自由なものであり、意味や価値などの評価はすべて後付けであって、重要ではないはずである。才能のあるなしも、基準がないのだから、本来どうでもいい話である。
創作はほとんどの人にとって、自分を自由に表現できる、楽しいものである。自由の実践として、個性への挑戦として、すべての人に創作は必要であるはずだ。
わたしはひとりでも多くの人の創作のきっかけになりたい。また、ひとりでも多く創作活動をする人を増やすことで、アートの門戸を開き、その社会的可能性を広げていきたいと考えている。
3.個性の受容と育成
自分の個性とは、他者と共有できず、言葉ではうまく説明することもできない非合理的なものだと思う。言葉と合理性を重視する現代社会において、個性を持ち続けるのはとても難しいことである。しかし、個性こそが自分であることの喜びを生み出す源である。人生を楽しむには、個性を発揮することが何よりも大切である。
現代社会において、自分の個性とは何か、と悩んでいる人は多い。わたしは、そのような人々が自分の個性を見つけるきっかけになるものを作りたいのである。また、わたしの作品はそういうものでありたいのだ。そして、個性を大切にして生きる人を増やすために、まずは自分が個性を大切に生き、その個性を表現していこうと思っている。
4.遊び場のような社会空間
正しさや既存の価値観にとらわれず、人々が個性を自由に表現できて、お互いの違いやわからない部分をおもしろがりあえる空間を作りたい!このような場所があれば、個性もより育つと考えている。
いまの社会には、空白や未知が欠如していて、ほとんどの人がいつも時間に、未来に追われている。社会で求められるのは、代替可能な人間でしかなく、個性や多様性なんてものはその実、夢のまた夢。だって時間もお金もないのだから。
わかりにくいものは排斥されて、みんなインスタントな情報をただひたすらにむさぼり食っている。そんな世界では、全てに定義や意味がつけられ、未知の危険と新たな可能性に満ちた遊びはかやの外に追い出されてしまった。
わたしにとって、いまの社会はおもしろくない。というか、自分が生きたいと、生きていたいと思う世界がどこにもなくて、ほとほと困ってしまった。
そう思っているひとはほかにもいるんじゃないかな?でも、そう思うなら、まずはわたしが、自分がおもしろいと、生きたいと思う世界を創るしかないね!ってことで、このような活動を始めてみました。
どんな活動をしているの?
自身の作品を発表する場として、2024年5月にこのサイトを開設しました!
いま(2024年6月)は、このサイトにて作品を発表しはじめたところなのですが、これから作品の販売やステッカーやポストカード、作品集の販売をしたいと考えています。やってみたいことはたくさんあるのです!!ともかく、人生を楽しむため、目標を達成するため、さまざまに試行錯誤しながら、自由に表現活動をしていきたいと思っています!
なぜ作品を発表するの?
わたしが作品を発表することは、上記のそれぞれの目標とどのように関係しているのか。以下のように考えている。
1.よくわからないけどなんかおもしろい
自分の作品は、まさに“よくわからない”ものであり、自分の作品を世に出すことで、世界を少しでも面白くできると信じている。
2.創作とアートをすべての人に!
わたしは、アート業界のいわゆるアウトサイダーであり、そんなわたしがこのような表現活動をすることで、アートの門戸を開けると考えている。そして、ひとりでも創作をする人が増えるきっかけになりうると信じている。わたしの自由な表現が、誰かの自由な表現に繋がることを願う。
3.個性の受容と育成
抽象的で、新しい、自由な表現は、人に、自分の中を探検させ、自分という存在のあらゆる可能性に気づかせる力があると感じている。わたしの作品はそういうものでありたく、多くの人が作品を通して自己対話し、自分の個性に気づくことができたらと思う。
4.遊び場のような社会空間
まずは、わたしがわたしの作品を自由に発表する場所として、このサイトがわたしにとっては遊び場のようなものだ。しかし、インターネット上のサイトでは、社会空間とは言いがたい。ゆくゆくは、実際に、わたしの作品だけでなくいろんなひとの作品を、既存の枠に囚われず、鑑賞し合ったり意見交換できたりする場所を作ってみたい。
作品を発表することは、ひとつのコミュニケーションだと考えている。わたしたちは、普段大人になればなるほど、お互いを思いやって、様々な慣習やルールに従って、当たり障りのないコミュニケーションを取っている。それが悪いと言うわけではない。それは円滑な取引や仕事において非常に重要なことである。一方で、そんなコミュニケーションばかりでは、自分の個性を発揮しづらく、また相手の個性を知る機会も失われており、漠然とした孤独感や退屈を感じないだろうか。
わたしは、たまには、むきだしの個性やわかり合えなさをぶつけ合うコミュニケーションが必要だと思うのだ。そして、それは作品を介してしかできない...と言うわけではないが、作品を介すことで、穏やかに、でも純粋で刺激的に行うことができると思う。そのようなコミュニケーションは、きっと人生をおもしろく、豊かにしてくれるはずである。
わたしの作品が、誰かの一瞬を鮮やかにすることを祈る!
どんな作品を作っているの?
なぜ創作するの?
わたしが創作するのは、単純につくるのが好きだからであり、自分であるためにつくらずにはいられないからである。
意味や理由がないからこそ、楽しくできるのではあるが、創作するのに、理由があるとするならば、以下になる。
自分の中のもやもやしたものを昇華し、自分の経験を自分で創ってゆくため。
つまり、自分をはじめとした“わからないもの”に向き合うため、そして自分のおもしろさを感じるためにつくっている。また、言葉ではうまく表現できないものを表したいからこそ、いろんな表現方法を使うのだ。
創作活動のきっかけ
国立大で社会科学を学んでいる人間がなぜ、創作活動を始めたのか!?
もともと「生きるということ」「世界、社会とは何か」「幸せとは何か」ということに強い関心があった。ハードな宅浪期間を経て、大学に入学(コロナ禍!)してからは、専攻を片手間に、心の赴くまま哲学や社会学を通してそれらについて学んだ。
学べば学ぶほど、全てに絶対的答えがないことがわかり、また答えを切望して生きてきていた自分に気づいたのであった。そして、人生に普遍的な正解がないのなら、せめてわたしが幸せになるために、世間の価値観に囚われず、自分のほんとうにやりたいことをやろうと決意。
それでも、しばらくは学問的…論理的正しさにとらわれていたのだ。が、とある強烈体験がきっかけで、混沌の闇のような世界で、頼れるのはかすかな自分という存在であることを悟り、そして、自分は、何か意味や正しさや価値などに関係なく、ただ自由に絵をかければ、作りたいものを作ることができれば、それだけで幸せなんだと気づいた。
そこから、思いついたものをとにかく形にしていくことを始めた。気づいたらめっちゃいろいろ作っていた!