「生きる」


作品ページ
【着想】

この絵はほんとうにほんとうに苦しみの中から生まれたものである…。そして、この絵は言葉や概念をインスピレーションで受け取った他の作品と違い、自分が苦しみの中で感じたことを直接的に描いた絵である。

これは、孤独や超理性(創造的理性)に引き続いて、“生きるとはどういうことなのか”ということを考える中で生まれた作品である。このとき、わたしは生きるとは、存在するとはどういうことなのかについて考えたことを文字におこしていた。まず、興奮のままに丸一日・二日かけて書きなぐった。これを第1原稿とする。第1原稿を書いた後、いくぶん冷静になり、その内容を論理的に考え直す作業を行った。これを第2原稿作業とする。この作業では、自分の考えの正しさをひとつひとつ熟考しながら論を構築していった。冷静を取り戻してやっていた作業のはずであったが、いつの間にか論理熱に侵されていたようで、二週間ほど取り憑かれたように寝ても覚めても思案に明け暮れていた。つまりどういうことか、というと、早く答えを出したくて、とても焦っていたのだ。

そんなある日、あれは月曜日。わたしは相変わらず取り憑かれたままであった。正直大学に行ける状態ではなかったのだが、単位のため授業は受けねばならず。フワフワ自転車を漕ぎ、かの、まるで水槽のような大学へ向かった。いざ教室へ。迷わず窓際の隅を陣取る。…授業に出たところで、やることといえば、存在するとは?生きるとは?それはなんだこれはなんだなんだなんだ…授業を受けながら、わたしは、“人は個性を発揮することが幸せなのに、なぜ、それを難しくさせる存在である他者を求めるのか?”という疑問にぶち当たった。そして、突然気がついたのである。
“「どうしようもなく自分でしかない自分」と「どうしようもなく他者を求める自分」この2つがすべてなんだ!”
その時の実際のメモ
この真実をみたとき、わたしはどうしようもない気持ちでいっぱいになった。もう本当にひたすらにいたたまれない気持ちになって、心の底から熱いなにか、叫びが湧き上がってきた。涙がこみ上げてきた。
今にも叫び出したくなって、生きていられない心地になった。授業中。
今ではむしろ、この我が暴れ馬のお目覚めが、授業中で良かったのだと思う。そして、そのとき、はっきり思ったのだ。

 “生きるとは叫びである
 “他の誰でもない自分は自分でしかいられないけど、でもそんな自分は他者を求めずには生きられない。
この苦しさからくる慟哭こそ、生きるということなのだ
 “人は究極に至ったとき、叫ぶことしかできないのだろう

“人は個性を発揮することが幸せなのに、なぜ、それを難しくさせる存在である他者を求めるのか?”という疑問は生きているから湧いてくるものであり、この葛藤こそ生きることであるとわかったのだ。
しかし、今思えば、このときは頭で考えすぎていて、全体的に強迫的であった。今は個人と他者の関係について、もう少し広く柔らかく考えている。

衝撃体験の波が覚めぬうちに、授業が終わり、今度はフラフラしながら、自転車を漕ぎ漕ぎ帰宅。そして、即!絵を描き始めた。知ってしまった苦しみをどうにかするには描くしかなかった。そういえば、この状態、いつかの日に似ているな。MY MANDARA
苦しみをどうにかしようと、授業中に描いたイメージたち。原案。

【制作中・制作後】

描いていて、少しずつあの苦しみ、“生のいたたまれなさは叫びにしかならない”という思いが癒やされていった。原案のイメージにとらわれすぎず、でもこのかなしみ・苦しみ・いたたまれなさをひたすら一心に込めた。
完成後にしばらく飾っていたとき、この作品には友達のような親しみを感じた。言葉にならないなにかを、生を分かち合っているような…。しかし、また別のときにみたら、すごく悲しい顔をしているように感じた。この絵はその時の自分の状況によって見え方/感じ方が変わるのだと思う。だからこそ、よりこの絵は、“生きるということは、苦しいものであり、また楽しく喜ばしいものでもある。生の矛盾は、哀なのであり愛なのである”ということを教えてくれるのだ。

そして、この絵はわたしのひとつの開花であると思う。
「孤独」が自分だけの道を選ぶために、自分の背中を押すために必要だったのだとするなら、この「生きる」はわたしのこれまでのすべての苦悩の結晶であり開花であるだろう。作品にすることで、苦悩を開花させ、昇華したのだ。
苦しみを苦しみとして、見て見ぬふりしながらも持ち続けるのではなく、苦しみを開花させ、新たな喜びへとつなげていく。それが創作を通してできるのだと思う。

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