作品ページ
【着想】
「生きる」を描いたあと、“生きるとはどういうことなのか”について、選択や自由という観点から思索を深めていた。すると今度は、“自由とは一体何なのか?”という疑問に行き着くわけだが、それに関してはもう頭で考えることに限界を感じた。そこで、イメージにしてみようと思い、それなりに湧いたイメージを色々試行錯誤させていたのだが、なんともしっくりくるイメージが湧かない。なんだか理屈を絵にしたようなイメージしかできない、どうも違う。
そんな感じで、うーんと思っていた頃、突然とある奇妙で神妙な気分がやってきた。11月11日。きっかけは季節の変化と夢であろう。わたしは年末に生まれた。冬という季節はわたしにとにかく何かを思わせる。自分が生まれたこと、生きてきたこと、生きていることをN次元からご観覧…。過去と今と未来の糸が明らかになり、まるで“未来の自分からの声が聞こえてくる”ような感覚。“何か変わらなくてはいけない”という意識だけが強く浮かんでくる…。この胸に迫る思いを、手垢をつけずにそのまま感じ切ってみようと、この不思議な感覚を抱えたまま日々を過ごした。
そんな気分を消化しつつあったころ、わたしはひらめいた。「自由」の前に、「自信」つまりは“自分を信じる”ということを描こう!と。そうしてこの作品ができたのである。
振り返れば、未来に引っ張られ、自分というものが新しく変化していく道中であったために、「自信」というものについて向き合う必要があったのだと思う。
【イメージを得たきっかけ】
11月某日。自分とはなにか、どうしたいのか、これからどうなるのか、わからないYOOと思いあぐねていたとき。わたしは定期的にそういう気分に陥るのだが、このときのそれはかなり激しめだったと思う。自分の中に深く沈みこんでいったわけだが、おそらくある程度の深さにまで辿り着いたとき、わたしはたいてい思うことがある。それは、“今までだって、どんなときも、自分を信じてやってきたじゃないか”ということである。
この日、その深さに行き着いたとき、わたしは無意識にも、祈るように手を結んでいた。それに気づいたとき、結んだ手の中がとても暖かく感じた。そうして、わたしはこの深海から帰還したのである。また、今回の潜行では、“信じられないかもしれないけど、わたしを信じて”ということばを手土産に持って帰ることもできた。この経験から、わたしは、この結んだ手の中にはきっとなにかがあると確信した。そして、このなにかこそが、自信のようなものなんだろうと思ったのだ。
生きる限りわたしを支え、突き動かし、人生に希望と勇気を与え続けるなにか。
“この手の中にはなにかがあって、そしてなにかが生まれている。死がわたしとわたしを分かつまで”
そうして、この絵のイメージができた。
思えば、この、手を結ぶポーズは、祈るときのポーズでもある。今回の潜行を経て、わたしは、このポーズ(動き)は自分と自分の間にある揺るぎない愛と絆を表していると思うようになった。実際にやってもらうとわかるが、自分と自分で手を結ぶと、自分の指の質感や指の力を感じる。普段意識していなかった自分の生きる身体の感覚を感じられる。そのとき、あぁ自分は今までこの身体で生きてきたんだな、とか、今自分は生きているんだな、とか感じないだろうか。自分であり自分でない自分を感じて、愛しさや労いの気持ちを覚えないだろうか?
【学び】
この絵のイメージを深めていて、感じたことが二つある。
“わたしとわたしの間には説明できない不思議な関係がある”ということ
“わたしはわたしを幸せにしたいと思っている”ということ である。
そこから、自信とは何かについて、ひとつの仮説ができた。
それは、“自分を信じるとは、自分で自分を幸せにすること、自分で自分をひっぱりあげることである”というものである。
この仮説ができたことで、絵の基本イメージが固まった。一方、基本イメージ以外なかなかピンとくるものがなく、ずっと模索していた。そのせいか、なんと、この絵に対して、わたしはいつまでも、全くの自信が持てなかった!やればやるほど自信がなくなっていく。なにかおかしいなと思わないか?
わたしはそう思った。なにかおかしい。なぜ、わたしは一向にこの絵に自信が持てないのだろうか?…自分を信じるということについては少しずつわかってきたはずDA。では、「自信」を持つとは、いったいどういうことなんだろうか?「自信」についてもう一度向き合ってみることにした。
わたしは、自分がこの絵を描いているとき、とても緊張していたことに気づいたのである。なにか間違えないように、正しくやろうとしていたのである。でもこの絵に、「自信」「自分を信じること」に正解などないはずである。すべて正解であり、間違いなのである。そんなものに正解なんぞを探していたとは、どうりでいつまでも自信など持てないはずである。わたしはここから、
“自分とを信じることは自分を信じることでしかない。しかしそれは、変化を受け入れることであり、気楽にいることであり、愛することである。自分を信じるとは、必死な事ではなく、気楽なリラックス状態である”ということに気付いた。
自分であることがいちばんの喜びなのであり、わたしがわたしであればすべて正解なのだと、この絵は教えてくれた。