「Communication Ⅰ」「CommunicationⅡ」










【着想】
壁に顔のボタンがあるという謎のらくがきからたどり着いたイメージ。
原初のらくがき
構図練り練り
上記のらくがきから、乳房のシルエットと横顔のシルエットが似てるということを発見した。
そして、コミュニケーションⅠⅡのイメージに行き着いたわけだ。

コミュニケーションⅠ:【女体と女体のキス】―【(顔で)ノーズキス】
コミュニケーションⅡ:【男体と男体のキス】―【(反対向いた顔同士で)耳でキス】

イメージができたとき、わたしはわなわなと震えた。こりゃあとんでもなくエロチックな絵ができてしまったんでねーかと…。
しかし、これはエロチックな絵であれども、直接的にエロスを表しているわけではないと感じた。
このイメージができる少し前、わたしは「コミュニケーションとは一体何なのか?」という疑問にかられ、それを四六時中考えていた時期があった。きっかけは、“個人の幸福や世界の平和のためには、真のコミュニケーションが必要である”という考えが頭の中に湧いてきたことである。そこから、真のコミュニケーションとはなにか?そもそもコミュニケーションとはなにか?ということを考えはじめた。

“コミュニケーション”という言葉、昨今よく使われるようになったが、この言葉、考えれば考えるほど謎めいているのだ。そもそもカタカナ、日本語英語という時点で、感覚的にピンとこない。だが、コミュニケーションという言葉が指しているものは何となくわかっているような気がする。そんな言葉の謎にとらわれて、しばし頭の中がコミュニケーションや愛、エロスなどの概念で圧迫されていた。考えれば考えるほど、わからないということがわかり気持ちが悪くなったので、答えを出そうとはせず、とりあえず自分が納得できる部分を整理した。それは、コミュニケーションとは交換であって、それはすべてエロスなのであるということであった。

コミュニケーションⅠⅡの形象ができた後、まだなにかある気がすると、“身体と胸にある顔”という形象の可能性を色々模索…という名のらくがきをしていたとき、偶然コミュニケーションⅢの形が見つかった。このとき、わたしはまた震えた。これこそまさに!コミュニケーションだと。エクスタシーであり、真のコミュニケーションだと!
気づいたのだ!
だから、前の2つもコミュニケーションであり、これはコミュニケーション三部作になったわけです。
communicationⅢの形象発見の瞬間。左下にご注目

【作品について】

・コミュニケーションⅠ
女性的なコミュニケーションをイメージしている。この絵は本当に美しく、官能的で、ザ・エクスタシーを感じる。きれいだなぁと思いながら飾っていた。女体と女体の間の自然的な空間は砂時計をイメージしており、この空間に引き込まれるようだ。

・コミュニケーションⅡ 
男性的なコミュニケーションをイメージしている。明快だけど、気持ち悪さもある。顔のうにゃうにゃは描いてて思いついたものであるが、左の顔は感覚的な人、右は論理的な人がイメージできるようだ。2つの顔(人)は糸でつながっており、伝え合っている。胸の顔は互いに反対を向いているが、一方で互いに耳を貸し合い、聞いている。
この構図は対立ともとれるし、信頼ゆえに背中を預け、守り合っている状態とも取れる。
理性的な印象を感じるが、熱っぽさも感じる。そんなコミュニケーションである。


【学び】

この2つの絵を比較吟味することによって、女性的なコミュニケーションと男性的なコミュニケーションについて、発見したことがある。

男性的なコミュニケーションには、正解の型のようなものがある。それをする人々は無意識的にか意識的にかその型を絶対視しており、他者にもその型を遵守するよう求める。また、その正解の型とは、理性的で、合理的な「こういうときには、こうすべき」という人為的に作られたものである。それは、男性同士に見られるホモフィビア的な連帯となにか関係があるかもしれない。また、男性的なコミュニケーションにおいてはそれぞれ個別の存在であることが大切にされ、その型を守るという義務において彼らは仲間である。

一方、女性的なコミュニケーションには、男性的なコミュニケーションのような絶対的な守るべき型というものはない。よくあるコミュニケーションの型はあっても、それが絶対的なものとはならない。ゆえに、感情的で柔軟性のあるコミュニケーションをとる。また、女性的なコミュニケーションにおいて、コミュニケーションをする二者は溶け合っていき、一体化してしまう、違いがなくなってしまうようなところがある。これは、自然的で神秘的ともいえる。それは女性の、バイオリズムに影響を受け心身が不安定になりやすいことや共感性が高いことなどの特徴と関係がありそうだ。

あくまで、男性“的”、女性“的”であるため、当然女性同士でも、男女でも男性的なコミュニケーションを、男性同士、男女でも女性的なコミュニケーションをする場合があるだろう。
どうであれ、コミュニケーションを男性的なコミュニケーション、女性的なコミュニケーションという軸で考察することが可能であり、それらは異なる様相を持つということがわかった。
目次