2023/ 50×80㎝, 水彩・コラージュ(卵の殻、雑誌)・古紙
“作品”を作ることができたと感じた、初めての作品。大学をさぼって、丸二日かけて完成させた作品である。わたしの創作活動の原点であり、思索の原体験である。
作品ページ
【制作秘話】
2023年春、わたしはまだ結局、生き方に関しても人生に関しても自分に対しても、正解を渇望していた。
なかなか苦しい数年を経て、わたしは大学に入学した。大学に入ってからは、やりたかったことをやろうと、色々挑戦し、たくさん学んだ。相変わらず辛いことも多かったが、友人も師もでき、実のある大学2年間を過ごした。2年間で得たどの学びもわたしに勇気を与えてくれたり、これまでの苦悩を肯定してくれたり、何より成長させてくれた。わたしがいちばん知りたかったこと、人生を楽しむにはどうすればいいのかについては、世間一般の“成功”とか誰か作った“正しさ”にとらわれずに、自分の生きたいように生きればいいとわかった。生きることに正解はないと知った。
また、わたしはたくさん自分とも向き合ってきた。わたしのやりたいことはなにか。わたしが本当に好きなのは、やりたいことは、何かを作って人を笑顔にすることだったと気付いた。
自分の人生は自分のもので、自分の好きなように生きるんだ!わたしは何かを作って生きていきたい!と思うことができた。この道を進みたい、これがいいと思った。
だが、なかなか作れない。
やりたいことのはずなのに、楽しく何かを作ることができなかったのだ。詩やアイデアはたくさん湧いた。でも言葉以外で何かを作るということがどうにも楽しくできない、自由にできなかった。
このギャップに、苦しむことになった。
今振り返れば、このギャップの原因理由は明らかである。わたしはやはり、何か正解を求めていて、何者かであらねばという強迫観念にとらわれていた。やりたいことなんだから、やりたいからやる、作りたいから作るはずなのに、アーティストになるとはどういうことなのか、とかアーティストとはこういうものであるということが先行してしまっていた。やる前から、誰かの声や評価を気にしていて、全く自由ではなかった。正解を求める、型にはまろうとする考え方の癖が抜けていなかったのだ。
自分の中のしがらみが強く自由に創作ができないために、自分のやる“べき”ことはこれじゃないのではないか、わたしはアーティストにはなれないのではないかという不安を感じていた。だから、今までやってきたことの延長にある、哲学や政治など学問の研究に逃げようとしていた。しかし、わたしの心はやはり表現を求めていたし、アカデミックな世界に限界と退屈さを感じていた。いくら本を読んでも、自分が変わらなければ、行動しなければ何も始まらない。理屈をいくらこねても、もうわたしは逃げることができないと感じていた。それでも、まだ勇気と自信が持てないから、理屈の世界に逃げていて…。でも、理屈で考えれば考えるほど、わたしにはこの世界には絶望しかないように感じられた。自分が今行動することだけが、この絶望を希望に変えることのできる唯一の可能性であると、心ではわかっていた。でも、やはり勇気が出ない。そんな自分に嫌気も差す。そんな正解のない世界におびえていっちょまえに絶望はする自分と可能性で扉を開こうとする自分の板挟みになっていた。
そんなことを考えていた日々のあるとき、あれは2023年5月30日火曜日。
突如、論理的思考が限界点に達したようで、ただただ感情が身体にしみわたった。わたしには、絶望と希望の両方が存在していた。自分のしがらみをのりこえることをせず、ただ世界にも自分にも絶望してここで死ぬか、これまでの自分を乗り越えて愚かでいい、可能性に賭けるかを選ぶ必要が出てきたのだ。
全身の細胞が、暴れだすようでして、居ても立っても居られない心地になった。結局、わたしは、おもむろに靴の梱包に使われていた大きな紙を壁に貼り付け、絵を描き始めた。わたしは、愚かでも間違っていてもいいから生きることを選択したのだった。死を選べば、身体の疼きは止まり、もう悩むことも間違えることも苦しむこともなくなるだろうけど。すべては無に帰り、完全な美が訪れると思ったけど。
死という美の誘惑に惹かれていたにも関わらず、わたしがそれを選ばなかった理由。それは単純で、ここですべてを投げ出して終わりにするのは、面白くないと思ったからである。これまで生きてきた自分に悪いと思ったからである。死は美しく正しいが、面白くないと思った。
人は一瞬でも完全な静寂に入ることができれば、簡単に自死できると思う。なぜなら、死は恐ろしいほどに美しいものであり、甘いものであるから。
静まりゆく世界の中、わたしは知っていたのである。わたしは美しい自分ではなく、醜くあほらしい不合理な自分こそ愛していることを。そして、わたしはどんな自分も美しいと思うことを。
だから、わたしは完全な静寂、完璧な世界を拒み、騒がしくどうしようもない世界で間違え続けることにした。
その選択をより確かなものに、この心に刻み込むために、わたしは創作したのかもしれない。
わたしはあきらめることができなかった。ばからしくても、信じて、あがいて、生きていくことにした。描いているときは死ぬほど苦しくつらかったが、やめても世界には虚無しかなくて、だからやめることはできなかった。この気持ちを何とかしたくて、この絶望から何としても抜け出したくて、ひたすら描いた。ひたすら描くうちに、だんだん純粋な探究心が湧いてきて、楽しくなってきた。気づけば、わたしは、自由な表現ができるようになっていた。
【学び】
この「わたしの曼荼羅」の制作経験から学んだことはたくさんある。
まず、最も大切なことは自分の意志と行動であるということである。頭で理解したことと、実際にやることの間には大きな隔たりがある。どれだけ知識を身に着けようが、その知識をどうするのかを決め、自分の人生を動かすのは、自分の意志と行動でしかない。自分を変えるのは過去の自分を許し、超えることであり、多くの時間と葛藤がつきものである。そこから逃げては、なにも変わらない。
次に、創作によって、自分の中をほとばしる、身を焦がす感情を昇華することができるということである。どうしようもなく渦巻く気持ちは、何か外に出すことで、発散、浄化されるものだ。そういうものを創作によって一つの形にすることで、過去のしがらみから自分を解放しやすくなると思う。
また、創作は、自分と向き合うことであるということである。創作によって自分のなにかを一つの形にすることで、満足感や達成感が感じられて、自分を肯定できるようになる。
さらに、それを人に見せて、良い反応をもらえたら、心が救われる。心から人や世界、自分を愛し受け入れられるようになりうる。正解にとらわれずに、自由に手を伸ばし始めるきっかけとなる。
そして、論理は突き詰めると、非論理へ行きつくことも学んだ。これは制作だけでなく、大学2年間を通しての学びである。だから論理は自己破壊的自殺願望を、理性は希死念慮を持っているようなものである。理性や論理のこのような性質は、合理的を求める現代人の一定数が自己疎外と自己否定に悩まされていることと関係があるのではないかと思っている。
生は不合理であるため、人が生きるには、どこかで不合理を非論理を受け入れる必要があり、さらにその不合理なことをなにか行動として実践することが必要なのではないだろうか。そうでなければ、人は論理、理性の希死念慮に飲み込まれてしまう。自分の人生を楽しみ、切り開いていくには、自分という、生きるという謎を、神秘を、不合理を全身で受け入れ、感情を感じきること、そしてそれを表現することが重要なのだ、とこの作品を制作したことで考えるようになった。